『PSYCHO-PASS サイコパス』の魅力の在処

物語の舞台は今からおよそ100年後の未来の日本。

“シビュラシステム”と呼ばれるシステムが、人々の“PSYCHO-PASS(サイコパス)”=心理状態を数値化して、それを基にして人々は適正職業やパートナーなどを提案される。

そしてシビュラシステムによって測定される最たるものは、“犯罪係数”。

犯罪係数が高いとシビュラに判断されれば、その人は犯罪を犯していなくても“潜在犯”と呼ばれ、犯罪者扱いを受け、逮捕・隔離される。

シリーズのメインキャラクターである常守朱(CV花澤香菜)は、厚生省管轄の警察組織“公安局”で働く刑事。第1期の物語は主に、朱たちの所属する公安局刑事課1係で展開する。

サイコパスがクリアで、シビュラによる職業適性診断により選び抜かれたエリートたちは“監視官”となり、潜在犯を“ドミネーター”という特殊拳銃で取り締まり、逮捕する。

そんな朱たち監視官の手足となって働くのが “執行官”だ。

一度“潜在犯”に墜ちた人たちはカウンセリングやリハビリを受けて社会復帰を目指すのだが、潜在犯の一部には、監視官の管理下で、“潜在犯のまま”執行官となるものもいる。潜在犯の思考を先読みし、その嗅覚で犯罪を取りしまるのが執行官の役割だ。

PSYCHO-PASS サイコパス』では、作品を通じてひたすら「はたして “正義”とは何なのか?」というテーマを掘り下げていると思う。

潜在犯と一般の人々の対比。

監視官と執行官の対比。

システム化された社会の裏で起こる矛盾。

シビュラは本当に正しいのか?という疑問――。

作品中で登場人物たちが感じたり主張したりすることは、実は全て私たちが生きる現実社会にも当てはまるのではないのか。

シビュラというシステムこそないけれど、私たちもシステム(社会)に疑問を持ちながらも“人間として生きること”を日々考えているからこそ、この作品が投げかけるテーマが我がこととして心に刺さるのではないのか。

それが『PSYCHO-PASS サイコパス』という作品が放つ魅力の一端だと、私は思うのだ。