抱っこと共感で「泣き」を手助け。本来の自分を取り戻し、育つ力に
時にお母さんを悩ませる「イヤイヤ」や「ダダこね」。感情が爆発してついに大泣き……という事態になってしまうと、なかなか子どもの気持ちに寄り添えない場面もあるかもしれません。
「抱っこ法」で知られる阿部秀雄氏によれば、泣くことには2つの意味があるそうです。
1つは「泣いてお願いを伝える」という基本的な側面。言葉でうまく伝えられないため、泣くことで欲求を伝えます。
そしてもう1つが、「泣くことで気持ちを解放する」という側面。こちらが子どもにとって、重要な意味をもちます。
嫌な感情、我慢していた感情を「ギャーッ!」と解き放ち、思いきり涙を流し、さらに周りの人に「ヨシヨシ」と慰めてもらう一連の過程の中で、みずからの悲しい気持ちを癒し、徐々に普段の自分を取り戻していくのだといいます。
それゆえ、泣くという手段で「お願いを伝える」ことが満たされたとしても、「気持ちの解放」の方が不十分なままだと、なんだか心がさっぱりせず、いつまでもぐずぐず、後を引いてしまうことがあるとか。
親としてはつい、「泣くことは悪いこと」「早く泣き止ませよう」と考え、「言葉で説得→泣かずに我慢させる」という最短コースをめざしがち。
ですが、まずはいったん子どもの気持ちに共感→抱っこで心と体を受け止め→十分な泣き→癒し……という流れで、時にはとことん、泣く手助けをしてあげる必要もあるようです。
子どもには「特に理由はない、けれどもなんとなく泣きたい」気分のときも往々にしてあり、また、あまりにも自分のお願いがあっさりと受け入れられ、なんでも許されてしまう状況下では「泣いて気持ちを解放」することができないため、わざと叱られるようなことをして大人を困らせるケースもあるとか。
児童精神科医の渡辺久子氏も、
「乳幼児期に泣いたり、わめいたりしてしっかり感情を吐き出して、すっきりした経験のある子どもは、『感情を出してしまえば、そのモヤモヤした心の状態を乗り越えことができる』と本能的につかんでいる」出典『思春期の子のこころがわからなくなったときに読む本』渡辺久子/カンゼン
と著書の中で書いています。
嫌なことを嫌といえず、感情を押し殺しながら育ってきた子どもは、我慢してきた年月分の膿がたまってしまい、それが思春期になってから寂しさや不安、怒りとなって表に出てくることがある、とも。
なかなか一筋縄ではいかないものですが、泣きたい気持ちを受け止めながら、ゆったり慰めてあげる機会がもてるとよいですね。
……とはいえ、やはり、頭ではわかっていても「とても抱っこの気分ではない」、というときもあります。自分に余裕がないと、おおらかな気分にはなれませんよね。
そんな場合は自分の心に目を向けることも大事のよう。子どもを預けるなどしてリフレッシュしたり、自分自身をぎゅっと抱きしめたり。
また、たまには子どもに甘えて抱っこしてもらったり、ダダをこねたりして、自分の感情を解き放ってあげるのもアリだそうですよ。
<参考>
『幸せになる脳はだっこで育つ。-強いやさしい賢い子にするスキンシップの魔法-』山口創
『オキシトシン―私たちのからだがつくる安らぎの物質』シャスティン・ウヴネース・モベリ
『阿部秀雄のきっと親子がしあわせになる「抱っこ法」』阿部秀雄
『お母さんの抱っこでよい子に育つ』萩原 光
『思春期の子のこころがわからなくなったときに読む本』渡辺久子/カンゼン