©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

男女の恋愛だと省くような細かいところまで描かれている

――恭一というキャラクターを作るために準備したことはありましたか?

周りに参考になるような人がいたか、というと、いたら逆に問題だな、という人なので(笑)、脚本を読んで、こういう人なんだろうな、と想像するところから始めました。

大きく考えると、人間誰しも他人に良く見られたい、という感情はあるし、連れに見せる表情と、恋人に見せる表情が違ったり、「えっ、あの人が?」という人が不倫をしていたり、本当のところって簡単にはわからないものじゃないですか。

だから、恭一は裏側ばかりがこの映画では切り取られているから、正直、最低な人物ですけど(笑)、裏側が見えてないだけで、こういう人自体はたくさんいるんじゃないか、とも思うんです。そう考えると、恭一になるために特別な何かをする必要はないんじゃないか、と思ったんです。

女性に対する態度と、今ヶ瀬に対する態度というか、トーンみたいなものが変わるのも意識的ではないんです。自然と女性には優しくなっていて。

誰しもそうではないかも知れないですけど、僕は女のきょうだいがいないかったりもするので、女性に話すときと、男性に話すときと、自然と違ってしまうし。

逆を言うと、男性同士の関係は気を使わなくていいので楽です。恋人同士になったとしても、男女である以上、男性ってどこかでカッコつけてしまったり、それが段々面倒になって、“最初は違ったのに”って思われたりしますけど、今ヶ瀬の場合はそれがない。

成田くんも行定さんも言ってたんですけど、考えてみると相手が男ってめちゃくちゃ楽なんじゃないか、って(笑)。そういう部分がシーンの中にもところどころ描かれていると思います。

――恭一はとても流されやすい人だと思いますが、徐々に今ヶ瀬を受け入れていきます。そういった気持ちの部分はどのように作っていきましたか?

演じていく中で作っていきました。気持ちの面で肝になるシーンは、撮影も物語が進むのに合わせて順撮りしてくださったので、段々と今ヶ瀬を好きになっていけるようにしてもらえました。

例えば体を重ねるシーンは、この会話がなかったらそこまで到達できなかっただろう、というシーンをちゃんと先に撮ってくださっていて。その辺りはすごく丁寧にやっていただけました。

行定さんもおっしゃっていたんですけど、この映画は男女の恋愛だと省くような細かいところまでストーリーの中で描かれているんです。たぶん男女だとくどくなるような部分でも、恭一が同性の今ヶ瀬に惹かれるという気持ちに到達するまでには、そこが必要になる。

そうやって細かく段々と気持ちを紡げたので、特別に何かをする必要はなかったです。

――男女だと省くような細かい表現とは、具体的にはどの辺りですか?

日常的なところですかね。恭一は最初から強く拒否はしていなかったけど、それでも拒否しようと思っていたのが、途中から段々と“ノー”とは言わなくなっていく感じとか。身体を重ねるまでも、普通の男女だったらもう段取り的に済んでいるだろう、っていう感じなのに、時間がかかっていたり。

あとは服を交換するとか、携帯を見てしまうとか。女性と連絡を取っていて、「別に付き合ってるわけじゃない」と突き放しながらも、言い訳してみるところとか。やっぱりいきなり男性を好きにはなれませんから、そうやって少しずつ撮影しながら積み重ねていけたことはすごく助かりました。

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