暢子にフラれたときは、視界が真っ黒だった

撮影/友野雄

智について語る口調は、少し呆れながら、でもいとしそうだ。困ったところもあるけど、まっすぐで優しい。前田公輝が演じた智は、そんな男だった。終盤では歌子との恋も描かれたが、やはり最大の見せ場となったのは海辺のプロポーズシーン。

渾身のプロポーズを断られた智は「ダメなわけよ、暢子じゃないと」と言葉を絞り出す。そのとき、目に涙をいっぱいためながら、智はかすかに笑う。智は、辛いときほど笑う人だった。

「あのシーンは、本当は3日後くらいに撮る予定だったのが、その日の海が綺麗だったから急に撮ることになったんです。しかも、夕日が沈むまでには30〜40分しかなくて。台本4ページ分をその時間で一気に撮り切らなくちゃいけなかったのが大変でしたね」

撮影/友野雄

人生のすべてだった暢子への恋心が砕ける場面。前田公輝は「僕の役者人生の中で5本の指に入るぐらい辛かった」と明かす。

「これからの人生で何か報われることがあるのかなって思うくらい、智にとって未来が閉ざされた瞬間。『うちは嫌』とか『ごめん』とかいちばん暢子から言われたくない言葉だったと思うんですよ。目の前であんなにも神々しく海が夕日に照らされているのに、アイツの視界は真っ黒だった。

智みたいに8年以上も1人のことを想い続けた経験が僕にはなかったので、演じるには自分の中にある好きというボルテージを2倍3倍にしていくしかなくて。それはもう本当に想像でしかなかったんですけど、ありがたいことにうれしい言葉をいろんなところからいただけるシーンになったので、本当に良かったなと思います」

終わった恋を振り返るように前田公輝は、暢子に対する智の想いを代弁した。

「歌子に暢子のことが好きなんでしょって聞かれて、智は『ガサツでおてんばで食い意地張ってるし』って否定するんですけど、あれは全部裏返しなんじゃないかなって思ってるんですよ。ガサツっていうのは、今よりも女らしくいろよみたいな目線が強い時代で自分を持って輝いているという意味だし、おてんばなのは破天荒だけど天真爛漫で明るい証拠。

そして何より幸せそうに食べてる暢子の姿が好きだった。そういう暢子を見ていると、智は貧しい家のこととか一瞬忘れられたんじゃないかなって。あの台詞に、智が暢子を好きになった理由がすべて詰まっている気がしました」