「どうして生まれた国が違うだけで、あなたはガラスの向こう側にいるの?」

──社会貢献と仕事を天秤にかけないキャリアは、苦労や工夫も多いかと思います。そもそも社会問題に目を向けはじめたきっかけはあったのでしょうか?

ターニングポイントは高校時代でした。学校を休みがちになってしまい、初めて自分が「社会から取り残される側」になったんです。

それまでの私は、勉強ができて先生からも褒められるような優等生で、いわゆるレールに乗った人生を歩んできました。

しかし、学校に行けなくなり、初めてそのレールを外れたことで「そもそもなぜ、取り残される人が生まれるんだろう」と考えるようになり、社会問題に目が向くようになりました。

本格的に難民支援に携わるようになったのは、大学生のとき。難民支援をしている教授と一緒に入管施設に行き、難民の方と面会する機会がありました。

そこで出会った同い年の女の子に「わたしたちは同い年なのに、どうして生まれた国が違うだけで、あなたはガラスの向こう側にいるの?」と聞かれたんです。何も言えませんでした。

「たまたま私は生まれた国が安全だっただけ」という事実はあまりにも残酷です。

この一言がきっかけで、私は特権層であり、だからこそやるべきことがあると気付かされました。

──その後、海外の難民キャンプに渡った。

はい。各国の難民キャンプの現場を知ろうと思い、大学を休学してパレスチナに渡りました。ゲストハウスとの出会いもこのときでした。

難民キャンプでのお仕事は、ゲストハウスのオーナーさんが紹介してくれたんです。

パレスチナでは難民キャンプで子供たちにアートや歌を教える活動をして、その後トルコやギリシャ、ドイツやフランスも訪れて、国境付近で難民の方たちの保護や生活支援を経験しました。

国ごとの状況の違いやニーズの違いを学ぶことで、日本でもまだできることがあると感じ、大学卒業後もソーシャルセクターなどの社会問題への取り組みを主軸としたキャリアに進みたいと思うようになりました。

しかし、そこで大きな壁にぶち当たってしまったんです。

インタビューは 後編 へと続きます。

旅とゲストハウスと海外エンタメをこよなく愛するライター。主な情報収集分野はジェンダーとセクシュアリティ、ボディポジティブ、セルフラブ、メンタルヘルス、フェムテックなど。いつか憧れの作品に字幕をつけるべく映像翻訳の勉強中。