いかに頭で考えずに、気持ちで寄り添えるか
――映画を観ていて、“山添くん”という人が、本当にこの世の中のどこかにいるような実在感がありました。
前提として、僕は俳優ではなく、アイドルであって。人によってはアイドルがルーツなだけと捉えるとは思いますけど、アイドルとして活動をしている以上、歌や踊りに熱量を注いでいるので、やはり芝居に真正面から向き合って、技術を高めたり、知識を増やしたり、感覚を磨いたりするために割く時間は少ないと思います。
見せ場を作ることや、物語の波を読んで乗っていくこととか、そういうことが上手い方ってたくさんいらっしゃいますけど、自分にはそれができない。他の方のお芝居を見ていて、技術量の差をいろんなところで感じています。
もしかしたら、技術の問題ではなく、別の問題があるのかもしれないけど、現状の自分の認識では技術が足りないと思っているんです。
なので、僕のような俳優ではない人間がお芝居をする上でできることと言えば、変にカッコつけて見せ場を作ろうや、ここで感動させようとか、そういうことを考えないこと。いかに頭で考えずに、気持ちで寄り添えるかだと思うんです。
そういう想いでお芝居に挑んでいることが、もしかしたらおっしゃっていただいたような実在感に作用しているのかもしれません。
あとはやはり三宅さんの力が大きいと思います。三宅さんの撮り方って、キャラクター全員を、本当にその街があって、そこの住人のようにできる不思議な力があるんです。だから、僕が変な欲をなくせばなくすほど、本当にその場に居るだけのような人になれたのだと思います。
逆に三宅さんの意図することを教えられてしまうと、それに応えようとする欲が出てしまうから、素直に三宅さんの描く世界に馴染もうと必死でした。
――キャラクター目線の画ではなく、キャラクターを客観的に捉える引いた画が多かったことで、より実在感を得られたような気もしました。
三宅さんがおっしゃっていたんですけど、最初から山添くんと藤沢さんの2ショットに引きの画を多用するつもりではなかったそうです。けど、二人を撮ってみたら、今、どこに居て、どういう状況でっていうのが全部見えてこそ、この二人の意味がわかると思ったそうなんです。
だから僕らも「今、この部分を撮られている」とかではなく、「この場にちゃんと居ること」を意識していました。近くを通った人影や、あっちの方から聞こえてくる声を気にするとか。
そういうものを大事にしたいという想いと、そういうところまで撮りたいという三宅さんのやり方が合致して、より実在感のあるキャラクターになれたのではないかと思います。