まず「公共の場」が公園のような、広いオープンスペースだった場合、見る側はその場を容易に離れられることが多いですから「見たくなければ見ない」という選択も可能ということで、「見たくないものを見ない自由」は「授乳する自由」より後退するかもしれません。
しかしこれがレストランやバス・電車のように、何らかの目的があって、そのためにお金も払っているような場所で、その目的を達成するために場所を移ることもできないような場合には「見たくないものを見ない自由」への保護が強まるかもしれません。
とはいえ赤ちゃんが脱水症状になりそう、授乳時間が開いてしまいお腹が非常に空いている、ひどく緊張してしまっている、等の事情がある場合には「授乳する自由」が優先されることも十分にあり得ます。「授乳室が混んでいる」等の理由も、考慮されるかもしれません。
また、この「授乳室」についても、それはあくまでもデパートやショッピングセンターなどがサービスとしてお客様に提供しているものであって、本来、そこ以外で授乳をしてはいけないという趣旨ではないはずです。
法的に考えれば「授乳する自由」を無制限に狭めていいものではありません。「授乳室」の存在は「見たくないものを見ない自由」を保護する要素にはなり得ますが、双方の「自由」や「権利」の“綱引き”のひとつの要素として考えられるべきものでしょう。
どんな「社会」が望ましい?子どもたちの未来のために
――双方の“綱引き”なのですね……では結局のところ、法的に「公共の場での授乳」を裁くとしたら、どうなるのでしょうか。
宮川:この問題は法的に考えても、非常にあいまいな事案であり、言ってしまえば0%か100%か、白黒をつけることは難しい、ということになります。
実際にどちらの「自由」が尊重されるべきか、それぞれが不快には思っていても賠償を請求するような訴訟にまで発展することは考えにくく、これまで日本では判例はありませんし、また近い将来、目に見える形で裁判所がその是非を判断することになるとも思えません。
だからこそ、例えばアメリカでも州法で「公共の場での授乳」を認めるよう定めたりしているわけで、これを逆に考えれば、法律や条例を作らないことには白黒つけられない、ということなのですね。
もちろん日本も、政治的・政策的判断で国や地方自治体が立法や条例化を検討する、という道もあるのかもしれません。
しかしながら視点を換えれば、いろんな意見があり、自身の「自由」が100%守られるというわけにはゆかないながらも、お互いを思い遣りながら“綱引き”をして、さまざまな立場を尊重しながら各々の“あいだ”を取ることができる、そういった社会は「健全な社会」ということもできるのではないでしょうか。
子育て真っ最中のママからすると「白黒つけてくれたほうがいいのに!」と感じるかもしれません。でも、自分のバックグラウンドに基づいて自分なりの声をあげることができ、論争できる社会というのも、ひょっとしたら子どもの未来のためには、大切なものなのかもしれません。
法的に「公共の場での授乳」の是非について、はっきりとしたお答えを提示できずに申し訳ないような気がしますが、この問題に悩むママたちの、ご参考になればうれしく思います。
記事企画協力:光畑 由佳
【取材協力】宮川 舞(みやがわ まい)氏 プロフィール
弁護士(東京弁護士会/中島・宮本・溝口法律事務所所属)。『名誉毀損の慰謝料算定』(学陽書房)の執筆陣に名を連ねるなど、名誉・信用・プライバシー・肖像・パブリシティの侵害に関わる研究や事案にとりわけ造詣が深い。(情報は記事公開時)