どの出会いがなかったとしても、今はない

――お二人には自分の人生を変えたような出会いはありますか。
中島:僕はYOASOBIの「アイドル」という曲です。アイドルとしての立ち位置など再確認させられました。それが、2024年以降の音楽活動にもつながっています。あとは、やっぱりキリケンさんですね。
桐谷:おう! そんなん言うてくれる(笑)。
中島:20代後半に出会えた方ですけど、先輩で、こんなに自己開示できる方っていなくて。東山(紀之)さんには自分の報告とかはしますけど、別枠というか、レジェンドみたいな存在なんです。
だから、先輩なのにこんなに近い感覚で話せる人は他にいなくて。ここまで自分の心をほぐしてくれる先輩に出会えたのは本当に嬉しかったです。
桐谷:僕の場合は、少しさかのぼって話をするんですけど、5歳のときに映画を観て、「自分もこの四角の中に入りたい」って感じたことが、最初で。中の人たちがうらやましすぎて、その夜の夕飯の湯豆腐がのどを通らなかったくらいでした(笑)。
そこからは、想いはありながら具体的にどうすればいいのはわからない状態で過ごしていて。そしたら、中学生のとき、終わりの会でいろんな職業が紹介された進路のプリントが配布されて、そこに書かれていた「芸能界」を見たとき、過呼吸になったんです(笑)。
好きだからこそ、見て見ぬふりをしていたことが、目の前に現実として、どーんと現れた瞬間でした。それで、このまま目をそらしていたら、いつまで経っても過呼吸になると思って、色んなオーディションを受けまくったんです。
ただ、一次審査は受かっても、そこから全然、みたいな中で、アメ村で美容師さんにショーに出ないかって声をかけられて。そのショーの時、僕が色んな人に「絶対に世界獲ります!」みたいなことを言ってたら、そこに居たモデルの方がが、「せやったら東京に行かな」って言ってくれたんです。
当時、高校1、2年生ぐらいだった僕からすると「東京?」って感じだったんですけど、その言葉で東京に行くことを決意して、運よく大学に受かって東京に行きました。
そこで今度は大学の入学式で、あるサークルの先輩から「今日、クラブ行こう」って誘われて。そこのお立ち台で踊っていたら、芸能界とつながっている人と知り合えて、その人にまずはモデル事務所を紹介してもらって、今に繋がるんです。
すごく長くなったんですけど(笑)、つまり、この中のどの出会いがなかったとしても、今ないと思うんです。今、こうやって健人の隣に居て、しゃべっている俺はいない。だから、どの出会いも人生を変えたものになると思います。